値上げ交渉が進まない状態から脱却する経営の舵取り

2026年08月05日

カテゴリ:コンサルティング

~どんぶり勘定による危機から、「正しい価格」で未来を掴むには?~

投稿者プロフィール欄

株式会社WorkVision アドバンストビジネス推進本部 コンサルティング部 中小企業診断士 今井克也

株式会社WorkVisionにて34年以上にわたり、様々な業種の民間企業、公益法人、地方自治体やその外郭団体など、500を超える企業・団体のIT導入に携わる。
2023年 中小企業診断士登録。
講師:大阪経済大学「経営いろは塾」登壇 2023年
主な著作物:
日刊工業新聞社「機械技術」2026冬号
中小企業の利益を守る「正しい価格」算出マニュアル(共著)

近年の原材料費の高騰、電気代や物流費、そして人手不足に伴う人件費の上昇・・・。
今、多くの企業経営者が、かつてないコスト圧力の渦中にいます。 しかし、本当に経営層を悩ませているのは、コストアップそのものよりも、「それを取引先に正当に転嫁できないこと」ではないでしょうか。
「長年の付き合いだから」、「他社も据え置いているから」という商習慣の壁。「値上げ交渉によって競合に仕事を奪われる」という失注リスク。そして「製品ごとの原価が把握できていない」どんぶり勘定の実態。今回このコラムでご紹介するのは、そんな値上げ交渉に苦しんでいる、部品加工メーカー・A社のストーリーです。綺麗事だけではない、彼らが直面した現実から、これからの時代を生き抜く「正しい価格」を求めるための知恵を探ります。

1. 「何とかする」という思考停止が生んだ、静かな危機

A社は、高い技術力を武器に大手メーカーの二次サプライヤーとして堅実に成長してきました。しかし、ここ数年の急激な外部環境の変化が、同社の体力を確実に削り取っていました。
材料費、電気代、物流費、人件費のすべてが上がる時代が到来しました。もちろん、経営陣も手をこまねいていたわけではありません。営業担当者は意を決し、大口の取引先へ赴きました。最近では価格交渉の場は、以前より前向きに応じてもらえることが増えました。
「コストが上がっているので、少し値上げをお願いできないでしょうか。」
「ただ単にコストが上がった、だけでは私も上に説明し辛いですね・・・。」
「コストが上がった原材料は数多くあり、それをどのように個々の製品に反映しているかまで細かくは・・・。」
「お気持ちはわかるのですが、具体的にデータで示してもらえませんか?」
「具体的にデータで?ですか・・・。」
営業担当者は、それ以上話を進めることが出来ませんでした。A社では詳細な原価管理ができておらず、データを具体的に示すことに慣れていませんでした。また、これ以上交渉を続けることによって、自社がどんぶり勘定であるという実態を、取引先に知られたくないという気持ちも働きました。

結局、価格転嫁ができないシワ寄せはすべて社内へ向かいました。
•現場にさらなる効率化を求める
•外注先や仕入先に値下げをお願いする
•工数を削る

やがて現場では休憩時間が減り、残業が増えていきました。精神論で現場を回し続ける中、目に見えない形で無理が徐々に積み上がっていったのです。その無理はいずれ「品質の低下」に直結します。
労働環境が悪化すると、退職者が増えるリスクがあります。退職者が増えると、会社は高額の人材採用コストを支払って募集し、入社した人が定着しないという悪循環に陥りかねません。
経営陣は「今月も現場がなんとか持ちこたえてくれた」と胸を撫で下ろしていましたが、それは会社の未来の利益を前借りした、静かな危機へのカウントダウンでした。

2. 経営者の脳裏をよぎった、ある「強烈な違和感」

ある日、社長は決算書を眺めながら違和感に襲われました。 売上はそれなりに維持できている。会社全体で見れば、なんとなく利益は出ているように見える。しかし、手元のキャッシュ(現預金)は一向に増えないどころか、むしろ減っているように見える。
社長は、価格転嫁が出来ていないことが影響しているのではないかと思い、経理に尋ねました。
「この製品は、本当はいくらで作っていて、いくらの利益が出ている?」
経理からの答えは、驚くべきものでした。「申し訳ありません。月次で見ると利益は出ていますが、製品ごとの正確な原価となると、今の計算では分かりません……」
「製品ごとの正確な原価が分からない」
この瞬間、社長は背筋が凍るような恐怖感を覚えました。いくらで売れば儲かるのか、どの製品が赤字を垂れ流しているのかが分からないまま、目隠しで車を運転していたような状況だったからです。

3. 「標準原価」との出会い、そして突きつけられた現実

危機感を募らせたA社は、あるコンサルタントに相談し、「標準原価(Standard Costing)」を導入することにしました。
標準原価とは、一般的に広く普及している実際原価(発生した費用を、事後に伝票で集める)とは異なり、これから発生する原価を理論的に予想することで、「この製品は、本来このコストで作るべきである」という、「あるべき姿」となる基準を、数字で定義する仕組みです。
A社が行ったことは、非常にシンプルです。
•材料の今後6ヶ月を見据えた使用量を決める
•実際の作業時間を測る
•間接費の基準をもとめて配賦する
そうして導き出された製品ごとの標準原価と、実際の販売価格を照らし合わせたとき、社内に衝撃が走りました。長年、A社の売上を支えてきたはずの製品群が、以下のようなコストアップを吸収しきれず、完全にデッドラインを越えていたのです。
•材料費:+15%
•労務費:+10%
•エネルギー費:+20%
結果として突きつけられたのは、「今の価格のままでは、約半数にも上る製品が、1個あたりで赤字である」という現実でした。赤字の製品は売れば売るほど会社が傾く・・・これこそが、キャッシュが増えない原因だったのです。しかし、同時に大きな収穫もありました。それは、どの部分が赤字の原因なのか、数字で明確になったことでした。

4. 交渉の席で起きたパラダイムシフト:「感情」から「理論」へ

現実を知ったA社の経営陣は、腹をくくりました。A社は再び取引先に向かいました。
しかし、今回の交渉は前回までとは180度異なっていました。「値上げをお願いします」という懇願スタイルではなく、相手の前に広げたのは、1枚の緻密なデータです。
•材料価格がどれだけ上がったかという事実
•作業時間と賃率の変化
•それらをもとにした製品ごとの原価構造
これらを丁寧に説明し、「この価格でないと、継続的に安定した品質で供給することができない」という事実を伝えました。
購買担当者は、もちろんすぐにはOKしませんでした。しかし、これまでとは明らかに反応が違いました。
「今ご説明頂いた資料をデータで貰えませんか? 社内の会議で説明します。」
そう言ったのです。
なぜ、態度が変わったのか。理由は明確です。
説明できる明確な“根拠”があったからです
購買担当者は、社内の上層部に対して「なぜそのサプライヤーの値上げを受け容れたのか」を説明する責任を負っています。A社が提示した「標準原価」を算出するためのデータは、購買担当者にとっても、社内をロジカルに説得し、理解を得るための盾となったのです。

5. 「正しい価格」でしか販売しない、という決断とその代償

もちろん、ビジネスの現実は甘くありません。取引先との交渉が、すべて合意に至ったわけではありません。
一部の案件では、値上げの根拠となるデータを示し、丁寧に説明しても理解が得られず、結果として失注が発生しました。長年続いた取引を失う痛みや、目先の売上が落ちる恐怖は想像を絶するものがありました。
しかし、A社は決めていました。
「正しい価格」でしか販売しない=無理な値引きはしない
なぜなら、それが「現場の疲弊」、「品質の低下」、「事業の継続不能」につながり、それらが長期化すれば、最悪の事態である「倒産」につながると、標準原価の数字を通じて痛いほど分かっていたからです。
失注という代償は払いましたが、赤字垂れ流しの仕事がなくなったことで、現場の無理な負担は減っていきました。そして何より、営業だけでなく、社員全員が自社の価値を「自信を持って説明できる」ようになっていったのです。
半年後、A社からは赤字案件がなくなり、「正しい価格」を説明できる会社へと生まれ変わっていました。

6. 終わりに:理論で語れる企業が生き残る

標準原価は、決して大企業だけが使う難しい仕組みではありません。その本質的な意味は、「あるべき姿」となる基準を、数字で示すことにあります。そしてその数字が、現場を守り、「正しい価格」を守り、ひいては会社を守る強固な盾となるのです。
コストが上がることが日常となる時代において、感情やこれまでの商習慣ではなく、理論を語れる企業が生き残ると言えます。A社の変化は、その一つの例と言えるでしょう。
「正しい価格」を丁寧に説明することによって、失注を経験することがあっても、A社のように道が開かれるチャンスがあります。なぜなら、特に中堅から大手の取引先は、中小受託取引適正化法(注1)の後押しによって、無理な値引きを強いるより、コンプライアンスを重視するからです。購買部門の窓口担当者は、自分の上司や経営幹部に理論的に説明できる根拠がある以上、価格転嫁を受け容れないことは、自分自身や会社にとって、大きなリスクとなることを理解しています。
標準原価は、「正しい価格」で事業を継続するための拠りどころとなり、経営者から一人一人の社員まで広く理解を深めることによって、一体感の醸成に貢献できます。
さらに、未来志向で取引先と信頼関係を築き上げるために、活用すべき有益なツールと言えるのです。

WorkVisionでは、企業のIT導入・構築に関する多様なサポートサービスをはじめ、コンサルティングによってお客様の経営課題から、一気通貫でご支援する体制が整っています。お気軽にお問合せ、ご相談ください。ご相談はこちら

(注1)「中小受託取引適正化法」は略称です。正式名称は「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」です。さらに略した通称:「取適法(とりてきほう)」も広く使用されています。

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